姿を変えたクリスマスの贈り物
お店のウィンドウには、緑色の折り紙で作ったヒイラギや、赤い紙で作ったサンタが貼られ、街にクリスマスらしい雰囲気がただよってきました。私は兄弟たちと車に乗り込むと、笑っている太った紙のサンタのおじいさんたちの方を見て、思わずクスッと笑いました。今日は、待ちに待ったクリスマスショッピング。父が車を運転し始めると、私は、これから買おうとしているプレゼントのことで頭の中がいっぱいになりました。すてきな香りの香水はお母さんに。粋な腕時計は兄のため。かわいらしい人形は、妹に・・・。買いたい物が、次から次へと頭に浮かんできます。私は、興奮でそわそわしていました。ショッピングセンターに着くのが待ちきれません。ところが、目的地には着きませんでした。
行く途中で、私たちは交通事故に巻き込まれてしまったのです。私たちはだれもケガをしませんでしたが、私たちの車の後ろに突っ込んできたオートバイに乗っていた若い女性はケガをして、すぐさま近くの病院に連れて行かれました。その後は、連日電話のひびく音や、病院や警察に出向いたり、特に書類の事務処理などは、数日で終わるはずが長引いて何週間もかかってしまい、クリスマス気分はだんだんとかき消されてしまいました。
細々とした処理がすべて終わったころには、私は、その事故がクリスマスの最高の時をめちゃくちゃにしてしまったと感じていました。新年になる前に残されたのは、わずかな「かけら」だけ。でも、そのわずかなかけらを目いっぱい楽しむんだと、私は決意していました。私は、はやる思いで、クリスマスのごちそうの準備をしている母に加勢しました。すると、父と兄弟姉妹たちも加わったので、私たちは料理しながら、おしゃべりし、笑い、クリスマスキャロルを歌ったりなどして楽しみました。私の熱意に水を差したことと言えば、姉のエヴェリンが気分が悪くて部屋で休んでいたことでした。でも、「夜までには良くなるから」と、姉はみんなに言いました。ついに、クリスマスの雰囲気がもどって来始めました! ところが、またもや状況は私の願い通りにはならなかったのです。
夕方近くなり、エヴェリンがお手洗いで吐いていたのを見て、私たちはひどくあわてました。姉は、お腹の右下の辺りにものすごい痛みが走って、体をよじっていたのです。父はすぐに、姉を近くの病院に連れて行きました。私はショックを受け、不安とおそれに飲み込まれそうになりながら、車の明かりが闇の中に消えていくのを見守っていました。クリスマスの興奮は、まるで日がしずむかのように消えていきました。クリスマスのごちそうは、まだ料理の途中です。私が心から楽しみにし、熱望していた喜びとお祭り気分は、またもや私の手からもぎ取られていったのです。どうしてこんなことが起こったのか、私は思い悩みました。(どうしてこんなことになるの? それも、こんな時に? どうして姉なの?)
母は残った家族を集め、神様がエヴェリンを守ってくださるよう、みんなで必死に祈りました。真夜中ごろに父から電話があり、エヴェリンは急性虫垂炎の緊急手術を受け、危険を脱したということでした。姉は助かったのです! 暗いリビングルームで、私たちはだき合って喜びました。クリスマスツリーのイルミネーションが、私たちの涙ぐんだ目とほっとしたほほえみを照らしています。へなへなとベッドに倒れ込んだ私の頭の中は、エヴェリンへの思いと彼女のすばやい回復を祈る気持ちでいっぱいでした。それで、「めちゃくちゃ」になったクリスマスのことは、完全に忘れ去っていました。
ところが翌朝になると、またもや失望感の重々しい雲が私の心に立ち込めてきました。私はベッドから出ると、静かなリビングルームにそっと入り、窓のそばに座って、階下の暗い通りを照らしている街灯を見つめました。ここ数週間は緊張感が張り詰めていた上に、昨夜の騒動もあって、クリスマスプレゼントのことや、クリスマスのくつ下をぶら下げることなど、すっかり忘れられていました。(今年はプレゼントなんかもらえそうにないなぁ)、とぼやきながら、入院中の姉のことを考えました。きっと、痛みやショックのせいで眠れない時を過ごしているにちがいありません。
(今年は何てひどいクリスマスなのかしら!) ゆううつな気分で私はクリスマスツリーから落ちた飾りを拾い上げました。
私はそこに座って、キラキラした小さな包みを手の中で回していました。すると、新たな思いがわいてきました。私は、すでにクリスマスの贈り物をたくさんもらっていたことに、少しずつ気が付き始めたのです。とは言っても、それは私が期待していた贈り物とはちがっていました。新たにわいてきた家族への感謝の気持ちや、交通事故にあった人たちへの同情、私たちに起こったことがそれほど大きなことではなかったことへの感謝や、姉の手術が成功したことへの喜びなど・・・。数え上げれば、きりがありません。
今度姉に会う時は、どんなにうれしいでしょう。命の危険にさらされた状態から回復した後は、今までよりいっそう、姉の存在を大切に感じることでしょう。それに、これからは、母が買い物から無事に帰ってくるたびに、そして私が学校帰りのスクールバスから無事に降りるたびに、また毎晩父が仕事から無事に帰って来るたびに、感謝するでしょう。もう決して、「いつもの」ドライブを当たり前のことのように受け止めることはないでしょう。
気持ちが晴れてきて、ふさいだ気分や悲しみは安らぎに満ちた喜びに変わり、私はほほえみ始めました。いつしか私は、たとえどんなに家族のだれかとの間で意見が合わなかったり小さなことで衝突したりすることがあったとしても、来年はもっと家族の一人一人に愛と感謝を示せるようにと祈っていました。香水や腕時計や人形の代わりに、私は家族に親切や忍耐や思いやりや理解の贈り物ができるようにがんばろうと決心したのです。また、自分の命をもっと感謝し、健康に気を使おうと決意しました。今年のクリスマスに起きたことで、私は命や健康が非常にこわれやすく美しく尊い宝物で、むだにしたり当然のように受け止めたりするべきものではないと悟ったからです。
太陽が昇ってきて、金色の輝きが空じゅうに広がっていくのをながめていると、最初のクリスマスのことが思い出されました。マリヤとヨセフはきっと、これから生まれてくる初めての子に大きな期待をいだきながら、最高に暖かい世話をしてあげようという思いでいっぱいだったことでしょう。それなのに二人の計画は、ローマ皇帝の出したおふれによって台無しにされてしまったのです! とまる場所を探しながら宿から宿へとたずね回っていた時は、宿屋の主人に再三再四断られて、どれほどがっかりしたことでしょうか! 悲しくつかれた二人は、やっと見つかった場所が汚くて臭い馬小屋だったのを見て、がっかりしたことでしょう! 最初二人が考えていた計画は、一つずつ、くずれ去っていったのです。まるで、私がえがいていた「完璧な」クリスマスのように。希望がくじかれ、つかれ果てていた二人は、彼らの赤ちゃんが、これから人類を救い、歴史を変えていくことになるとは気付いていなかったでしょう。けれどもその夜、布にくるまれてむさくるしい飼い葉おけにねかされ、臭い動物に囲まれながらも、神様の最高の贈り物がこの世に来たのです。